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2014.09.26

お見合い結婚と金魚鉢

「お見合いを恥ずかしいと思う理由」というトピをたまたま見つけました。

「婚活」と言う言葉が確立してから早数年

婚活パーティ、街コン、合コン、そしてお見合い・・・婚活の方法も様々ですが

未だにお見合いには肯定的でない方もいるようです(合コンはいいのかしら?)

理由は・・・

1動物として自分の子孫を残す相手を自力でゲットできなかった。

2こんなに自由に恋愛できる環境が与えられているのに環境を棒に振った。
(江戸時代と同じことをしてしまった。)・・・・というようなことが書かれていました。

ちなみに江戸時代の結婚とは

(以下引用)

江戸時代は、士農工商の身分制度で、各層で婚姻制度が違っているようです。

儒教文化からの一対婚(武士などの支配者層)と夜這い~総偶婚(大衆)の二重構造で

武士は厳格な一対婚です。儒教の影響を強く受けて、「藩主」に仕えて「家」を守る事を旨とした。結婚は、許婚や親が決めた相手と結婚します。

大衆である農民層(殆どの日本人)は地方ごとに変化はありますが、若者・娘は褌(ふんどし)祝、鉄漿(おはぐろ)の年頃になると、若衆宿や、娘宿に集まって男女が交流した。
・・・・・(省略)長屋の住民は大家の管理下で共同生活して、見合いや恋愛で結婚していた。

とあり、イメージするお見合いとは「武家の話」であると考えられます。

江戸時代の話でついでにもうひとつ

女性はたった一枚の紙きれで簡単に離縁された、と言われていました。

所謂三くだり半というものですが・・・。

よく調べてみたら

〇三くだり半が夫から妻に渡されたからといって、妻が泣く泣く実家に帰っていたわけではない。

〇江戸時代には離婚は恥でも何でもなかった。

〇気に入らない男性を、さっさと見捨ててしまった女性もいた。

〇夫には三くだり半を書く権利ではなく、書く義務があった。(*離縁状がないと女性は再婚できないため)

〇武士階級にあっては、妻は持参金を背景に強い発言力をもっていた。

〇武士階級の離婚率は、10パーセントという高率で、しかも女性の再婚率は50パーセントを超えていた。

〇妻からも一方的に離婚できた。(*下記の理由があれば)現在の離婚条件よりも、はるかに女性に有利だった。

1.夫が妻の承諾なしに、妻の衣類など持参財産を質に入れたとき
2.妻と別居もしくは音信不通つまり事実上の離婚状態が3~4年続いたとき
3.髪を切ってでも離婚を願うとき
4.夫が家出して12カ月(古くは10カ月)が過ぎたとき
5.比丘尼寺(縁切寺)へ駆け込んで、3カ年が経過したとき

江戸時代の女性たちはよく働いた。働き手である限り、女性の存在が軽んじられることはあり得ない。むしろ明治の中頃になって、民法によって家制度が敷衍され、男尊女卑が強制されたことによって、女性の地位は厳しいものになったのである。(省略)

お見合いと一言で言っても各層で違っており、
三行半も、認識が大きく違っていました。また、この時代のお見合い結婚とは、個人間だけの結びつきではなく、家と家のものであって、恋愛などといったものが入る余地などなく物凄く現実的なものであったことが分かります。

お見合い云々というより結婚自体の意味合いが違うのだと思います。

お話を戻しますと

お見合い結婚に対して価値観は人それぞれですのですので、それでどうということでもないですが

こんなご意見(*50代くらいの女性)も

「お見合いが恥ずかしいという風潮はすでに私の時代もありました。

しかし、それならば出会いのチャンスはそこらに転がっていたのかと言えばそんな事もなく、職場にもいず、友人関係も同性で限られていれば、その狭い金魚ばちのなかで相手を見つけるしかありませんでした。

親戚や親の伝手でどんどん条件の合った話が来ても、自分にぴったりとした人と出会うのは難しかったです。 それでも私は積極的にお見合いをお願いして、自分の夫を見つけました。

自分の生活圏で出会える人なんて、本当に限られているではないですか。

金魚鉢きんぎょの中にも良い人がいるかもしれませんがいなかったら・・・

出逢う方法にこだわるより「結婚したいと思える相手」に出逢う事が大切なのでは・・・heart

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